国民的議論って何だ?

最近、安保関連法案がメディアを賑わせている
そこで時々出るのが「国民的議論が尽くされていない」という文句だ
原発や国立競技場の話題でも時々出る
この国民的議論って何だ

国民的議論は一体いつどこでだれとどのように行われるのか
それを纏め上げて"尽くされた"状態にする方法はどうなっているのか

まずいつどこでだれとだが、国民的議論と言うからには全国民が何らかの形で参加できる場所、時間に国民同士で行われるのが自然な解釈になる
とは言ってもライフスタイルは人それぞれで国民一同が同じ時間、同じ場所にというのは無理であろう
ここは1億2000万人ほどいる国民から自分の意見を代弁してくれる代表を選び、その者らに専門的に議論の席についてもらおうではないか
彼らにダラダラと議論させても仕様がないので期日をしっかりと決める必要性はいうまでもない
つまり投票選出と議員によるでの討議だ
"議論"をするためには、現状の日本の全国民の能力と環境を考慮するとこれ以外方法はない

ではなぜ国会で、非常に国民的議論がされるべき場で「国民的議論が尽くされていない」ことになるのか



めんどくせ
手前ら特亜関係の連中(自覚の有無を問わない)は自分に都合が悪いとすぐに「国民的議論が尽くされていない」と言いやがる
それなら原因は手前らが選出した議員にあるんじゃねーのか?
自らの首、議員生命を賭けてまで賛成/反対するやつはいねーのかよ
違憲違憲だ言うなら最高裁に訴えろよ
すぐにあることないこと、脳内で対立意見持つ人を作って論破オナニーしてんなよ
本当に、右翼も左翼も、自称リベラルもどいつもこいつもきもちわるい